隼人旅館

   

鶴岡市湯田川乙56  地図

新徴組御本部跡 庄内藩が江戸市中取締の際、その配下となった浪士組織・新徴組の組士136名とその家族311名が明治元年3月20日、庄内に移住してきたので、藩では湯田川温泉の宿屋と民家37軒に分宿させ、2年ぐらいの間居住した。
隼人旅館は組役所(本部)で、鶴岡城から係役人が出張して監督に当っていた。
その後、明治3年(1870年)藩では新徴組のために鶴岡城下大宝寺地内に100棟の住宅を建て新徴屋敷と称し、一同を居住させることになった。
新徴組士は戊辰戦争に従軍して勇戦奮闘したり、また明治5年(1872年)創業の旧藩士3000人による松ヶ岡開墾には65名が参加したが次々と離脱して、現在では組士の末裔3戸が残っている。