弘前市大字新寺町92 地図
本多庸一墓 | 弘前藩。 明治元年閏4月奥羽列藩同盟に参加するために白石城に派遣される。 7月11日に京都で留守居役を勤めていた西館平馬が近衛家から勤王派に転ずるようにとの命令書を持って帰国したことにより、藩論が一変して弘前藩は西軍側につくが、本多らは、弘前藩の裏切りは列藩同盟に対する信義にもとるとして抗議したが箱館への転属を命じられたが、本多らは庄内藩からの使者と共に脱藩して、庄内へ行き背信を詫びて切腹しようとしたが、庄内藩士に説得され思いとどまり、9月中旬に弘前藩兵の捕虜で部隊を編成して庄内藩軍に加わり秋田へ従軍する。 明治5年(1873年)帰郷し東奥義塾の塾長を勤め、そのかたわら明治9年(1876年)東北最古のプロテスタント教会である弘前教会を設立。青山学院院長、日本メソジスト教会初代監督などを歴任した。 明治45年(1912年)3月26日没。 享年63歳。 |
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