由利本荘市尾崎7周辺 地図
報国戦死之碑 | 弘前藩、秋田藩、本荘藩、鳥取藩、松江藩、福岡藩、佐賀藩の戦死者66名の氏名、年齢、戦死日、戦死場所が刻まれている。 明治3年(1870年)建立。 西軍戦死者 |
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服部平右衛門彰功碑 | 本荘藩。 文政4年(1821年)生まれ。 幼名を斧太郎、和七郎。 のち母方の服部性をついで平右衛門と改め、50石を給されている。 江戸在番中諸国を漫遊、帰藩後は寺社奉行、郡奉行、表御用人などの要職を歴任。 戊辰戦争に際して、新政府が強引に進める会津・庄内藩征討に反対して結ばれた「奥羽越列藩同盟」を俗論として排撃し、仙台藩、盛岡藩など東北の雄藩に拒絶されて転々所在が定まらず、箱館にわたろうと能代港に待機中の「奥羽鎮撫総督府」を本荘城に迎え入れようと計画、ひそかに腹心の守屋杢右衛門を能代に派遣する。 やがて秋田藩・亀田藩・本荘藩とも西軍側につき庄内藩との戦争になり、圧倒的に優勢な庄内勢の前に、本荘藩は城を捨て、亀田藩は庄内藩に降伏、秋田城も危うくなるものの、庄内勢は総引揚げののち降伏。 明治3年(1870年)急死。 戊辰の功により大正4年(1915年)大正天皇即位の礼の際に従四位を贈られた。 |
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戊辰勤王碑 | 本荘藩が秋田藩や亀田藩などとともに、西軍について庄内藩と戦ったことを称えた碑。 大正9年(1920年)6月13日建立。 |
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