鶴岡市井岡甲199 地図
菅 実秀墓 | 庄内藩。 文政13年(1830年)生まれ。 嘉永2年(1849年)家督を継ぎ、世子忠恕の近習となるも、安政5年(1858年)忠恕が急逝し免職する。 慶応3年藩主忠篤の信任を得て側用人となる。 戊辰戦争時は軍事係となり、松平権十郎と共に藩を指導する。 明治2年大泉藩大参事、翌年中老をなる。 明治4年(1871年)廃藩置県により酒田県権参事に任じられる。 明治5年(1872年)松ヶ岡開墾事業を指導したが、明治7年(1874年)ワッパ騒動の責めで県政より退く。 明治8年(1875年)松平甚三郎と共に鹿児島に赴き西郷隆盛に師事。 明治11年(1878年)庄内の富豪旧家に出資を求め庄内に第六十七国立銀行を設立した。 明治23年(1890年)同志と諮って『南洲翁遺訓』を発行し、その趣意の普及に努めた。 明治36年(1903年)2月17日没。 享年74歳。 |
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竹内右膳墓 | 庄内藩。 天保13年(1842年)生まれ。 慶応元年(1865年)5月に家督を継ぎ番頭、7月には組頭となる。 慶応3年12月25日の庄内藩による薩摩藩邸焼き討ちに参加。 戊辰戦争時は組持番頭として吹浦口から秋田領雄物川畔まで進攻した。 明治2年新徴組取扱を命ぜられ、明治5年(1872年)に松ヶ岡開墾が始まると新徴組頭として指揮を執り、鶴岡の戸長も務めた。 開墾終了後も総長松平権十郎の補佐となり、30余年に渡って開墾場の経営に尽力した。 明治41年(1908年)11月27日没。 享年67歳。 |
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