伊佐須美神社神葬墓地

   

会津美里町字文殊東甲3622周辺  地図

武井柯亭墓 会津藩。
嘉永6年(1853年)房州警備、安政4年(1858年)から江戸勤番、文久2年(1862年)会津に帰る。
この年、藩主松平容保が京都守護職となるや、主君に従い京都に赴き、長州藩士や諸藩の名士と交わる。
戊辰戦争で各地に戦い功あり。
琴を愛し柯亭琴士という。
書にも長じた。
子の庸が明治7年(1874年)伊佐須美神社宮司となり高田村に移る。
明治28年(1895年)5月23日没。
享年73歳。
野田 進墓 会津藩。
一般徴募兵で編成された「会義隊」隊頭。
明治元年8月25日、内藤介右衛門率いる会津藩正規軍約1000人を無事に入城させるため、坂 平四郎の二番新隊とともに敵を陽動する囮部隊となる。
野田が指揮する徴募兵は死をも恐れずに激戦を展開し、入城作戦を成功させた。
藩主松平容保は野田・坂隊の軍功を多とし、隊士をすべて士中に格上げしたという。
戦後は斗南へ移住。
会津へ帰り、南会津郡書記や戸長などを歴任する。
明治25年(1892年)から伊佐須美神社主典を拝命し、明治30年(1897年)に禰宜に任じられた。
機密御用藩士から会義隊長として野に下るまで『浮世廻夢』と題して書き残している。
没年月日不明。