由利本荘市岩城赤平字向山25 地図
小田部忠蔵墓 | 亀田藩。 忠次とも。 明治元年8月1日(7月14日とも)羽後関村で戦死。 19歳。 |
![]() |
|
松村辰吉墓 | 亀田藩。 明治元年8月25日新波村で傷、29日自宅で死。 25歳。 |
![]() |
|
神谷男也墓 | 亀田藩。 江戸で洋式兵学を修め、帰国後家士や農民の練兵訓練に当たる。 戊辰戦争では銃隊奉行として出陣し、亀田藩隊の指揮をとったが戦局利なく、また作戦上の見解の相違が原因で、軍議の席上、諸藩隊長列座の中で奥羽鎮撫総督府監軍の山本登雲助に鉄扇で殴打されるという屈辱を味わう。 これが亀田藩をして西軍との共同戦線を離脱、庄内藩側に付かせる要因となった。 明治3年(1870年)2月1日没。 享年29歳。 |
![]() |
|
小川録三郎墓 | 亀田藩。 戦士。 明治元年7月16日羽後三崎で傷、明治3年(1870年)6月29日(7月1日とも)死。 23歳。 |
![]() |
|
岩城隆邦墓 | 亀田藩第12代藩主。 天保15年(1844年)7代藩主隆喜の七男として生まれる。 11代藩主で兄の隆政が夭折したため、文久元年(1861年)に藩主となる。 戊辰戦争では上京して新政府に勤王を誓約し、新庄口に兵を出すなど積極的な姿勢をとったが、その後総督府や秋田藩との間に齟齬を生じ、戦況の不利も重なり、庄内藩に降伏して鶴岡に囹圄の身となる。 戦後は2000石没収、隠居に処されたが、明治3年(1870年)赦免、亀田藩知事となる。 明治44年(1911年)2月18日没。 享年68歳。 |
![]() |