見龍寺

   

涌谷町涌谷字龍渕寺10  地図

森 亮三郎頌徳碑 仙台藩。
涌谷伊達家家臣。
11歳で郷学月将館に学び、さらに剣を磨いて西洋流兵術、砲術、弾薬の製作技法等を習得した。
戊辰戦争では仙台藩軍本部の副監亘理善右衛門の下で作戦の中枢部員となる。
涌谷勢は4月、中山口に会津藩を攻め、急旋回して白河口で西軍と交戦、7月には秋田に兵を進め、参謀長を務めた。
8月14日に六郷町を出て大曲に進んだ時、三方から秋田勢の攻撃を受け、涌谷勢は応戦したが大敗した。この時、亮三郎は止まってなおも指揮中、足に銃弾を受け倒れた。
明治2年主君亘理元太郎の侍講にあげられ仙台屋敷に伺候した。
明治4年(1871年)廃藩置県とともに遠田南方二七ヶ村の郡長となり、以降宮城県一五等出仕、遠田郡小学校取締、三等郵便局事務取扱役、涌谷村戸長を歴任し、明治22年(1889年)初代小牛田村長に当選した。
明治43年(1910年)没。
享年81歳。