喜多方市岩月町大都字前田252 地図
佐川官兵衛墓 | 会津藩。 文久2年(1862年)藩主松平容保が京都守護職となるや、藩士の子弟を選んで別撰隊が組織され隊長を命ぜられ、京都市中の警護にあたり、鬼佐川の異名をとった。 鳥羽・伏見の戦いでは右眼を負傷しながら奮戦した。 若松に戻ると、越後口防禦の任につき、精鋭の朱雀隊四番隊長として越後に向かった。 その後、長岡が落ち、白河口も破れ藩主に召還され若松に戻り、若年寄から家老に進み若松城外の防衛に専念した。 落城後、幽閉されたが特赦により若松に閉居するも、警視局の要請を受け旧藩士を率いて巡査隊に入り、一等警部に任じ西南の役に参加。 明治10年(1877年)3月18日阿蘇山中の黒川村で戦死。 享年47歳。 |