北山霊園

   

仙台市青葉区北山2丁目10-1  地図

煤孫蜂之助墓 仙台藩。
明治元年9月10日磐城鬼石で戦死。

大聖寺墓地内。
若生文十郎墓 仙台藩。
200石。
近習から郡奉行。
明治元年番頭格軍事奉行として活躍。
明治2年新政府の鎮撫使に捕えられ、4月14日切腹。
28歳。

大聖寺墓地内。
会津藩2名墓 小池勝吉・・・大砲白井隊組頭。明治元年1月5日鳥羽で戦死。23歳。
小池繁次郎・・・勝吉父。500石。遊撃軍寄合組頭。明治元年8月23日会津笹山で戦死。46歳。

市民墓地内。
池上新太郎墓 会津藩。
白虎士中二番日向隊。
明治元年8月23日会津飯盛山で自決。
16歳。

神社庁墓地内。
太田 盛墓 仙台藩。
目付役、養賢堂指南役、大番士。
明治元年5月25日に奥羽同盟諸藩の建白書を京の太政官へ奉呈するため仙台を発ち、6月1日に江戸へ着くと山岡鉄太郎や勝 海舟らと面談し、その後京都へ向かい8月大坂に着き、10日京都に入り鷹司に謁見し、太政官に建白書を呈上したが、奥羽は戦争状態になっており、取り上げられなかった。
盛は兵庫に潜伏して江戸に下り9月28日に横浜を出帆し10月中旬仙台に帰着した。
この間郡奉行となるが、降伏となり累座して家禄没収され獄に下った。
戦後は漢学校の教授となり知類小学校を創設し、また知新社を作り仙台で初めての新聞『官許 宮城新聞』を発刊した。
明治13年(1880年)没。
享年51歳。

神社庁墓地内。