駒ケ嶺

   

駒ケ嶺城跡:新地町駒ケ嶺字舘75周辺  地図
碑群:新地町駒ケ嶺字東善寺下9-3周辺

駒ケ嶺城跡 仙台藩は石田正親を総督として2000名の兵を配置していた。
明治元年8月6日、中村藩が西軍に寝返ると、翌7日には西軍は黒木への攻撃を開始。
黒木の仙台藩兵は一時は中村藩兵を撃退したが、中村城からの長州藩兵等の援軍により、仙台藩兵は支えきれずに敗走した。
黒木を確保した西軍は8月11日、駒ケ嶺城攻撃を開始。
海岸線から鳥取藩と福岡藩、正面から長州藩、駒ケ嶺城の西側から久留米藩と徴兵七番隊が攻め込んだ。
仙台藩兵は頑強に抵抗していたが、正面からの長州藩兵の攻撃により多数の戦死者を出し坂元に後退した。
その後仙台藩は8月16日と20日の二度に渡って奪還作戦を仕掛けたがいずれも失敗に終わった。
仙台藩士戊辰戦没之碑 駒ケ嶺の戦いで戦死した仙台藩兵の供養塔。
戦死塚 駒ケ嶺の戦いで戦死した仙台藩兵の戦死塚。
戊辰戦没者 駒ケ嶺の戦いで戦死した仙台藩兵440名の氏名が刻まれている。