松前城跡

   

松前町字松城145  地図

松前城跡 明治元年11月5日に土方歳三率いる東軍は、正面に彰義隊、後方に額兵隊と陸軍隊の二手に分かれて進撃し、谷を一つ隔てた台地の先端、城まで直線距離で400mの法華寺を確保した彰義隊は、眼下の松前藩築島砲台を砲撃し、砲台が沈黙、海からは回天艦が艦砲射撃を始めた。
搦手門を守る松前藩は、大砲を撃つとすぐ門を閉じ、砲弾を装填したらまた門を開いて撃つという作戦をとり、彰義隊は進撃を阻まれたが、そのうちに門が開かれるのに一定の間隔があることに気付き、門が開くと同時に20人ほどが小銃を発砲し搦手門を突破。松前藩は本丸に追い込まれた。
城の北側の寺町御門からは額兵隊と陸軍隊が侵入し、城兵は城に火を放って逃走し、夕刻に落城した。
明治2年4月17日に西軍の総攻撃により東軍は60人以上の戦死者・行方不明者を出し福島方面に逃走し、奪還に成功した。