白河市松並10-1周辺 地図
戦死墓 | 明治元年5月1日の戦いで戦死した会津藩士の合葬墓。 |
銷魂碑 | 白河で戦死した304名の会津藩戦死者の名が刻まれている。 明治17年(1884年)建立。 |
長州大垣戦死六名墓 | 明治元年閏4月25日に戦死した大垣藩と長州藩6人の合葬墓。 明治2年(1869年)に「薩長大垣戦死十三人墓」が建てられたが、大正4年(1915年)に薩摩藩7人を薩摩藩合葬墓に移したため、今の墓標に改めた。 川井徳太郎・・・大垣藩。河井とも。鳥居勘右衛門隊。明治元年閏4月25日磐城白河籠原で戦死。20歳。 鳥居勘右衛門・・・大垣藩。先手組頭。隊長。明治元年閏4月25日磐城白河籠原で戦死。37歳。 松井於菟蔵・・・大垣藩。鳥居勘右衛門隊。明治元年閏4月25日磐城白河籠原で戦死。18歳。 村田与三治・・・長州藩。与惣治とも。装条銃足軽。第一大隊。明治元年閏4月25日磐城白河で戦死。19歳。 守永英作・・・長州藩。装条銃足軽。第一大隊。明治元年閏4月25日磐城白河九番丁稲荷山で戦死。24歳。 吉田竹次郎・・・長州藩。装条銃足軽。第一大隊。明治元年閏4月25日磐城白河稲荷山で戦死。17歳。 |
田邊軍次墓 | 会津藩。 河沼郡佐野村(現在の湯川村)の田邊熊蔵の長男として生まれる。 戊辰戦後斗南に移るも、白河口の敗戦は白坂村の庄屋大平八郎が西軍に間道を案内したためと思い、その仇を討つべく明治3年(1870年)、斗南を出発、約一ヵ月後に白河に到着し、白坂宿鶴屋にて八郎を斬った後、自刃した。 享年21歳。 八郎の養子直之助により白坂観音寺に葬られたが、後に会津会によりこの地に改葬された。 |