洞雲寺

   

加美町宮崎字東町68-1  地図

武藤勝作墓 仙台藩。
額兵隊差図役頭取。
加美郡宮崎村上小路、栄吉の子。
明治2年4月20日木古内で勇戦、死。
21歳。

墓誌には明治元年10月20日、23歳とある。
古内可守墓 仙台藩。
宮崎邑主。
着座。
3283石。
明治元年7月6日奉行に任ぜられ、12日手勢一小隊と宮床勢一小隊を率いて相馬口へ出陣。
熊川の戦いで中村藩の動きが怪しく感じられ、8月3日可守と遠藤主税、木村又作が使者として中村藩主に説くが、言を左右にするだけで、6日ついに同盟を離脱した。
その後役命により金山に出て岩谷堂伊達の軍を援けたが、戦況不利となり退却した。
明治2年6月、仙台騒擾で永禁固を申し渡され平士に降格した。申立書には「国政を全権する職として好党贋金を鋳造するを知りながら厳禁せざるの罪なり」とあり、旧勤王派から難癖としか言いようのない理由によるものであった。
明治4年(1871年)3月に赦され、寺子屋の師匠を務め、宮崎小学校長となる。
明治14年(1881年)4月24日没。
享年50歳。