高崎市倉渕町水沼字中川原1613-3 地図
小栗上野介終焉の地 | 明治元年、小栗上野介は西軍に対し主戦論を唱えたがとり入れられず免職され、領地である権田村に隠棲した。 この頃、野州・武州一帯に起こった暴徒の一隊は、小栗が多額の軍用金を持ち帰ったというデマに踊らされて権田村を襲来した。 小栗方はこれを撃退したが、これらの行動が「小栗は強力な兵力を持ち、叛逆の企図あり」との虚言を生み、東山道総督府より小栗追討令が下った。 小栗は養子・又一を高崎藩に遣わして他意のないことを開陳したが入れられず、閏4月6日、家臣3名とともに水沼川のほとりにて斬首された。 42歳。 この碑は昭和7年(1932年)に地元の有志らによって建てられ「偉人小栗上野介 罪なくして此所に斬らる」と刻まれている。 |
![]() |