村上市羽黒口7-24 地図
内藤信民墓 | 村上藩第8代藩主。 嘉永3年(1850年)岩村田藩主・内藤正縄の五男として生まれる。 万延元年(1860年)遠縁に当たる村上藩主・内藤信思の養嗣子となる。 元治元年(1864年)4月26日、養父・信思が隠居したため、その後を継いで藩主となった。 幕末期の動乱の中では終始、佐幕派として行動し、第二次長州征伐においても功績を挙げている。 戊辰戦争では東軍として参戦し一時期は善戦したが、長岡藩が敗れ、村上藩が危機的状況に陥ると、失意に暮れて7月11日(異説として7月16日)深夜、城内にて自殺した。 享年19歳。 |
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大粟峰右衛門墓 | 村上藩。 足軽。 明治元年8月11日越後村上城下で戦死。 60歳。 |
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依田錬次郎墓 | 村上藩。 明治元年8月11日越後布部村・妙音寺門前で自決。 43歳。 |
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梅沢喜斎墓 | 村上藩。 喜三郎とも。 明治元年11月12日越後で陣没。 |
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内藤信思墓 | 村上藩第7代藩主。 文化9年(1813年)第6代藩主・内藤信敦の三男として生まれる。 世子だった兄の信方が文政5年(1822年)に死去したため嫡子となり、文政8年(1825年)父の死により家督を継いだ。 幕閣では寺社奉行、大坂城代、京都所司代、老中を歴任。 嘉永4年(1851年)から11年にわたり老中を務め、幕閣の中枢を担ったが、公武合体の失敗の責任を問われ、お役御免となる。 実子の信任が早世していたため、岩村田藩内藤家から信民を養子に迎え、元治元年(1864年)に隠居して家督を譲る。 戊辰戦争終結後に明治政府から罪を問われ謹慎処分を受けた。 明治7年(1874年)5月14日没。 享年63歳。 |
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