柏崎市西本町1丁目13-1 地図
吉村権左衛門墓 | 桑名藩。 家老。 藩主松平定敬を追って柏崎に入り、桑名の情勢を伝えて恭順を主張する。 明治元年閏4月3日夜、主戦派の山脇隼太郎と高木剛次郎によって淡島小路「二ツ井戸」付近で暗殺された。 49歳。 吉村の暗殺直後に江戸の部隊が到着し、300人の藩士は抗戦を決意した。 一説には定敬が暗殺を命じたとも言われている。 |
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今村久太郎墓 | 富山藩。 明治元年6月24日越後藤村で戦死。 19歳。 墓碑には金沢藩とある。 |
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水野徳三郎墓 | 富山藩。 隊長。 明治元年6月24日越後藤村で戦死。 38歳。 墓碑には金沢藩とある。 |
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山下勇太夫墓 | 金沢藩。 金子篤太郎隊。 明治元年6月2日越後島崎村で傷、4日越後柏崎病院で死。 21歳。 |
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堀 大之助墓 | 金沢藩。 隊長。 38歳。 幕末維新全殉難者名鑑には、堀 文之助、年齢は27歳とある。 本人かどうかは不明。 |
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星野藤兵衛墓 | 柏崎の豪商。 柏崎陣屋御用達として桑名藩に軍資金を提供する一方、3月に糸魚川まで北上してきた西軍に、恭順か主戦か決めかねている北越諸藩の情勢を説き流血の事態を招く恐れがあるとして急な進軍を抑えるよう申し出た。 鯨波の戦いの前夜には再度、西軍に協力を約束。 現在の金額で10億円は下らないほどの軍費の他に、独自に探索させた東軍の動向を細密な絵図に落として作戦も進言。 こうした貢献ぶりが新政府に認められ、新設された民政局の御用掛と町村取締役を命ぜられた。 しかし藤兵衛は、この時の莫大な借財と生糸取引の失敗などで不遇な晩年を過ごし、明治9年(1876年)死去。 享年49歳。 贈正五位。 |
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