二本松市亀谷1丁目3 地図
渡辺新介墓 | 二本松藩。 65石。 儒者。 高根三右衛門隊。 明治元年6月29日白河口河原田で戦死。 |
岩本清次郎墓 | 二本松藩。 少年隊。 明治元年7月29日二本松城で戦死。 15歳。 |
岡山篤次郎墓 | 二本松藩。 木村銃太郎手。 大砲方。 明治元年7月29日二本松城郭外で戦死。 |
黒田兵庫墓 | 二本松藩。 樽井弥五左衛門の父。 農兵司令士。 明治元年7月29日供中で戦死。 |
林 彦之進墓 | 二本松藩。 150石。 広間番。 明治元年7月29日二本松城郭内で戦死。 |
日野大内蔵墓 | 二本松藩。 200石役高80石。 二番組番頭。 明治元年7月29日二本松郷社で戦死。 |
山田駿蔵墓 | 二本松藩。 2人扶持。 明治元年7月29日二本松城郭外で戦死。 |
松田久右衛門墓 | 二本松藩。 80石。 年賦金取立役。 明治元年8月21日会津石莚村で戦死。 |
日勇上人墓 | 蓮華寺第十九世住職。 蓮華寺は西軍兵の宿舎にあてられ、官軍の名を笠に着た乱暴狼藉は目に余り、果ては犬や鶏を殺して、客殿内でその肉を食べるという有様であった。 明治元年10月8日、日勇上人はその有様に憤慨し、兵達の団欒の真っ只中に仁王立ちとなり「アイや者共、今こそわれ、わが日蓮大聖人捨身奉仏の念力を以て、汝等が暴行を止めくれうぞ」と叫び、立腹を切り、腹を投出してその場に倒れた。 やがて巡検の官吏が来て、懇ろに弔った。 |
樽井弥五左衛門墓 | 二本松藩。 600石。 三番組番頭。 三番組銃士隊長として各地を転戦。 廃藩後は保原へ移住し、小学校教員となる。 明治22年(1889年)9月4日没。 享年51歳。 |