二本松市郭内4丁目81-1周辺 地図
二本松藩士自尽の地 | 丹羽一学・・・700石。家老。明治元年7月29日城下影山蔵之進宅で自刃。46歳。介錯大島成渡。 丹羽新十郎・・・250石。郡代から側用人。明治元年7月29日二本松城内で自刃。43歳。 服部久左衛門・・・300石。醍醐少将付役から小城代。明治元年7月29日二本松城内武器蔵奉行役宅で自刃。56歳。 |
二本松藩2名自尽の碑 | 安部井又之丞・・・165石。勝手方勘定奉行、郡奉行格。明治元年7月29日二本松城本丸で自刃。65歳。 丹羽和左衛門・・・300石。郡代、城代、軍事奉行。民事殖産に功あり。和平を主張して容れられず。明治元年7月29日城中で自刃。66歳。 |
内藤四郎兵衛戦死之地 | 二本松藩。 600石。 大城代。 明治元年7月29日二本松城郭内で戦死。 |
成田才次郎戦死之地 | 二本松藩。 少年隊。 木村銃太郎手。 大砲方。 明治元年7月29日二本松城郭内で戦死。 14歳。 |
二本松少年隊顕彰碑 | 表面は丹羽家第十六代当主・丹羽長徳の揮毫。 裏面には隊長・木村銃太郎、副隊長・二階堂衛守をはじめ、出陣した少年隊士62名の氏名が刻まれている。 戊辰戦争直前まで少年達が砲術の稽古を行っていたという『少年隊の丘』に建っている。 昭和15年(1940年)建立。 |