日新館跡

   

日新館跡:会津若松市米代1丁目1-10周辺  地図
天文台跡:会津若松市米代1丁目1-55周辺

日新館跡 会津藩の藩校。
天明8年(1788年)に5代藩主容頌が家老田中玄宰の建言で創立。
藩士の子弟10歳以上の就学を規定。
漢学を中心に皇学、神道、洋学、武学を教えた。
学業の進度により4等級に編成され試験により進級する制度であった。
成績優秀者は至善堂(大学校)に進み、一定の成績に達しないものは退塾を許さず、家督相続で扶持を減じられたりした。
戊辰戦争では臨時病院となっていたが、西軍の陣地として使用されないために火を掛けられ焼失した。
日新館天文台跡 寛政11年(1799年)4月より、5年の年月を費やし享和3年(1803年)に完成。
毎年、冬至の日には学校奉行や天文方の師範・暦家が集まり晴雨・考暦を編したところで、重要な施設の一つであった。
観台は当時の規模の半分となったが、日新館の施設の中では唯一保存されている。