古戦場跡:真室川町大字及位401-2周辺 地図
台場跡:真室川町大字及位589周辺
戊辰の古戦場跡 | 明治元年7月11日、西軍は秋田藩領から三方面に分かれて攻め込んで来た。 雄勝峠から羽州街道を進撃した本隊は主寝坂峠に陣を構えた東軍(仙台藩、米沢藩、上山藩、新庄藩)に攻めかかったが天険の地で西軍は攻めあぐんだ。 一方、長州藩の桂 太郎が率いる一隊は早朝、旧及位から塩根川沿いに2キロ下流の鏡沢集落に現れた。 桂隊は院内銀山から、前森山の西側山中を踏破した。 鏡沢は仙台藩と新庄藩が守っていたが、西軍と内通していた新庄藩兵が突然、仙台藩兵に銃火を浴びせた。 仙台藩兵は潰走し、桂隊は金山宿の入口にあたる森合峠に進出した。 |
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及位の戦い台場跡 | 及位の戦いにおける東軍の第三台場。 明治元年7月11日、院内から雄勝峠を越えた西軍は及位村北側に兵を進め、主寝坂峠での戦いを挑んだ。 東軍は羽州街道沿いの地蔵堂付近に第一台場、その左の墓地付近に第二台場を設けて防戦したが、西軍の猛攻に対し、東軍は次々に台場を捨てて葛掻台の第三台場(当地)、第四台場、峠の頂上の第五台場を陣地として戦いを展開した。 第三台場は地の利を得ていることから、西軍は一気に抜くことは出来ず、及位の民家を焼き払って院内に引き上げた。 ここでは互角の戦いであったものの、西軍は東軍の本陣があった金山を攻略した。 しかし13日に新庄城下に庄内藩兵の侵入を許し、藩主戸沢正実も秋田へ退去、城郭・市中を焼失することになった。 |
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