山口市大内氷上4丁目4-28周辺 地図
福田侠平墓 | 長州藩。 奇兵隊。 文政12年(1829年)長州藩士(無給通)十川権右衛門の次男として生まれ、大津郡伊上に住む福田貞八の養子となる。 文久3年(1863年)8月に奇兵隊に入隊。 元治元年(1864年)8月の四国連合艦隊下関襲撃の際は書記、同年末には参謀に進んだ。 高杉晋作の功山寺挙兵に際してはこれを暴挙として高杉の馬前を遮って止めようとしたが、最終的には高杉に同調し、奇兵隊士を集めてこれに参戦した。 慶応元年(1865年)士雇に昇格し、山県狂介とともに軍監となり、小倉戦争や北越戦争に出征し、数々の功を立てた。 北越から凱旋した2日後の明治元年11月14日、大酒を飲んだすえに下関で急死した。 享年40歳。 戦場では味方の敗色が濃くなっても、酒を飲みながら陶然と指揮したので、自らを「悠々老人」と号したほどであった。 |