東山墓地

   

岡山市中区門田本町2丁目4-1周辺  地図

手代木勝任墓 会津藩。
文政9年(1826年)3月9日会津藩士・佐々木源八の長男として生まれ、源八の実兄で100石取りの手代木勝富の養子となった。
京都見廻組組頭である佐々木只三郎、隊員であった佐々木源四郎は実弟。
会津藩主・松平容保が京都守護職を務めていた際、公用人として京都町奉行や京都所司代、新選組の指揮にあたった。
鳥羽・伏見の戦いの後、和歌山から海路会津に戻り、奥羽越列藩同盟のため諸藩と交渉を行った。
会津戦争では籠城戦に参加し若年寄に昇進し、開城の際は藩命により秋月悌次郎とともに城を脱出し、西軍首脳との降伏交渉を行った。
戦後は左院少議員、香川県権参事、高知県権参事、岡山区長を歴任。
明治37年(1904年)6月3日没。
享年79歳。