奥田神社

   

須坂市大字須坂757  地図

忠魂碑 戊辰戦争で戦死した須坂藩8名の忠魂碑。
明治2年に須坂藩主・堀 直明により臥竜山に建立された。
碑文は須坂藩の学者・北村方義が撰し、中島才輔によって書かれる。
明治14年(1881年)に招魂社が創建され、碑は明治20年(1887年)に現在地へ移された。
小林季定頌徳碑台座 須坂藩。
通称は要右衛門。
文政12年(1829年)直心影流の達人で多くの門人を持っていた要右衛門季阿の二男として生まれる。
江戸勤番を経て、文久2年(1862年)2月藩主・堀 直虎の側近に登用された。
明治元年1月に藩主・堀 直虎が江戸城中にて諫死し、藩は騒然となった。
総督府より呼び出しがあり3月に季定は藩の代表として大垣の総督府に赴き、出兵の命を受け兵一小隊、砲一門を率いて出陣し、参謀祖式金八郎の手に属し、館林藩の一小隊と共に4月5日に結城城を攻略し、これを守備した。
4月16日に茂呂にて1800余名の東軍と大激戦となり、17日には包囲され撤退を余儀なくされた。
維新後は剣術、銃術、馬術の教授主事及び藩主の家扶を命じられた。
明治34年(1901年)4月没。
翌年門人によって銅像を建立したが、昭和18年(1943年)戦争のために回収され、現在は台座のみが残る。