近江屋跡
喜多方市塩川町字中町1932-2 地図
飯沼貞吉ゆかりの地
明治元年8月23日、飯盛山で自刃した白虎士中二番隊で唯一蘇生した飯沼貞吉が戦後に匿われていた。
貞吉は自刃後、足軽・印出新蔵の妻はつに連れられて塩川村の近江屋にたどり着き、そこで三本住庵という町医者に傷口を縫ってもらい、薬も塗ってもらった。
この地は米沢に至る要衝で、会津藩塩川本陣が置かれており、翌日夕刻米沢に向かう長岡藩主・牧野忠訓一行が宿泊し、随行した軍医の西洋医術により一命をとりとめた。