いわき市平字古鍛冶町107 地図
本岡賢左衛門墓 | 磐城平藩。 嚮導。 明治元年6月16日九面で戦死。 46歳。 |
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猪瀬次郎墓 | 磐城平藩。 二郎とも。 銃士。 明治元年6月(4月)17日関田で戦死。 46歳。 |
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岩佐鋒太郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年6月24日新田山で戦死。 23歳。 |
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国府田覚次郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年6月24日新田山で戦死。 32歳。 |
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鈴木英之助墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年6月28日新田駅で戦死。 17歳。 |
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鈴木与兵衛墓 | 磐城平藩。 明治元年6月28日新田駅で騎馬斥候中戦死。 67歳。 |
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平松道太郎墓 | 磐城平藩。 明治元年6月28日新田山で傷、平城内で自決。 21歳。 |
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天田平遊墓 | 磐城平藩。 平太夫の隠居名。 明治元年7月13日妻と末女を連れ中山村民家を出て行方不明。 65歳。 |
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太田九郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日稲荷台で戦死。 22歳。 |
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岡本要右衛門墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平城下田町で戦死。 35歳。 |
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加茂新助墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平で戦死。 42歳。 |
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北村東七郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平新川町で戦死。 26歳。 |
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近藤弥市墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平城鐘楼堂下で戦死。 |
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下河部鉄太郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平田町で戦死。 42歳。 |
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杉浦三平墓 | 磐城平藩。 物頭。 銃士長。 明治元年7月13日新屋町出張時戦死。 53歳。 |
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鈴木熊之助墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平城下で戦死。 23歳。 |
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田母神周蔵墓 | 磐城平藩。 留次とも。 明治元年7月13日平城下鍛治町裏谷川瀬田堤で戦死。 24歳。 |
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辻 運八郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平稲荷台で傷、北目で死。 17歳。 |
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殿木篤之助墓 | 磐城平藩。 兵粮方。 明治元年7月13日平高坂道で戦死。 55歳。 |
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永井清之助墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平菩提院裏で戦死。 23歳。 |
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中村才助墓 | 磐城平藩。 銃士長。 三田宣隆隊。 明治元年7月13日平城下新屋敷口で傷、城内で自決。 47歳。 |
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林 丑蔵墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平新川町で戦死。 16歳。 |
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三田八弥墓 | 磐城平藩。 中老格。 150石。 隊長。 明治元年7月13日平新川町で傷、自決。 50歳。 |
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三村源四郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平長橋口で戦死。 48歳。 |
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宮田逸作墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平長橋口で戦死。 37歳。 |
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森 祐太郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平一丁目で戦死。 24歳。 |
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森永留次郎墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平城内で戦死。 20歳。 |
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山田省吾墓 | 磐城平藩。 三田八弥の甥。 広間番から大目付。 明治元年7月13日平新屋敷口で戦死。 22歳。 |
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山田錬次郎墓 | 磐城平藩。 250石。 嚮導。 明治元年7月13日平田町で傷、城内で死。 22歳。 |
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渡辺子市墓 | 磐城平藩。 與市とも。 江戸詰家老家来。 銃士。 明治元年7月13日平菩提院裏で傷、14日胡摩沢で死。 49歳。 |
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野本義右衛門墓 | 磐城平藩。 明治元年7月15日城下から行方不明。 捕斬か。 67歳。 |
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松村有輔墓 | 磐城平藩。 医師。 平郊外平窪村で療養中落城を知り、悲憤。 明治元年7月15日自殺。 46歳。 |
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加治荘蔵墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平城下八棟下で傷、22日相馬熊町で死。 24歳。 |
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久野繁三郎墓 | 磐城平藩。 農兵。 又者手先。 明治元年7月26日木戸村で戦死。 |
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青木柳右衛門墓 | 磐城平藩。 鍛冶町の町兵。 明治元年7月領内で戦死。 |
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後藤鉞之助墓 | 磐城平藩。 銃士。 明治元年7月13日平新屋敷口で傷、8月13日仙台で死。 20歳。 |
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吉田直之丞墓 | 磐城平藩。 明治元年7月13日新屋敷口で傷、8月13日仙台で死。 24歳。 |
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松本義一郎墓 | 磐城平藩。 茂平とも。 銃士。 明治元年7月13日平稲荷台で傷、9月18日仙台で死。 25歳。 |
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農兵人夫及無縁弔祭碑 | 久野喜左衛門以下14名の磐城平藩の農兵、夫卒の合葬碑。 久野喜左衛門・・・農兵。中村藩相馬将監手伍長。明治元年7月13日平城六間門で戦死。32歳。 |
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馬場米三郎墓 | 湯長谷藩。 明治元年7月1日平菩提院で戦死。 37歳。 |
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小野定次郎墓 | 泉藩。 明治元年7月13日平城で戦死。 |
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安藤信正墓 | 磐城平藩の第5代藩主。 万延元年(1860年)に老中となる。 直後の桜田門外の変で井伊直弼が暗殺された後、同じく老中の久世広周とともに幕政を事実上取り仕切る最高権力者となった。 信正は井伊直弼の強硬派路線を否定し、穏健派政策を取ることで朝幕関係を深めていこうと考えていた。 その一つが徳川家茂と和宮を結婚させる公武合体の実現であった。 文久2年(1862年)1月15日、坂下門外で和宮降嫁問題によって恨みを抱いていた尊王攘夷派の水戸浪士の襲撃を受け負傷したが一命を取り留めている。 戊辰戦争が起こると、若年の藩主信勇に代わって本領での藩政を指揮。 奥羽越列藩同盟に加わり戦ったが敗れ、降伏、謹慎を余儀なくされた。 明治4年(1871年)10月8日没。 享年52歳。 |
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