佐原

   

福島市佐原字竹ノ森1周辺  地図

南無阿弥陀仏 奥羽越列藩同盟の成立により西軍方に属する館林藩の分領出羽漆山陣屋は敵陣容の中に孤立し、進退極まる苦境に立たされ、国表の指示を仰ぐことに決し、森谷留八郎が使者として幾多の困難を克服して館林に到着し、藩主秋元礼朝に奥羽越の動静や陣屋の窮状を上申し、藩主の指示を伴い帰途についた。
明治元年9月7日、二本松から塩沢・土湯温泉を経てぬる湯温泉道に入り、塩の川筋のすめり石地内に差し掛かったところで襲われ従者と共に死。(以下は幕末維新全殉難者名鑑に記載の内容)

森谷留八郎…物書。号垂休。明治元年9月7日二本松領岩代塩谷川(会津塩川とも)で戦死。38歳(現地案内碑では30歳)。
阿部善左衛門…地元案内人。上名倉村の人。幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。18歳。
惣吉…従者。山形・内表村の人。幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。29歳。
富塚忠八郎…郷夫。探索方。明治元年9月8日会津塩川(若松城下とも)で戦死。46歳。