清雲寺

   

秩父市荒川上田野690  地図

大炊御門尊正墓 明治元年2月20日、清雲寺に右大臣大炊御門家信の嫡子尊正と名乗る公卿主従の一行が突如姿を現し、忍藩大宮陣屋の役人に表敬の挨拶を命じたが、陣屋側はこれを無視、翌日も再度命じたがこれも無視。
2月23日、業を煮やした主従は、最後の手段として尊正みずからの名で出頭を命じた。
この日、陣屋から組子6人と先手10人が、槍や鉄砲を手に清雲寺に向かった。
寺を取り囲んだ役人達は、寺に押しかけ3人の従者と掛け合った。
役人達は名主宅まで出頭するよう激しく詰め寄り、刀を渡すように迫ったが、従者の1人が短筒を発砲したため、他の2人も抜刀して役人に斬り掛かった。
3人は忽ち討ち取られ、尊正は混乱に紛れて逃れようとしたが、役人達がその後を追いかけ、斬り殺された。
大炊御門尊正君追悼碑
従者2名墓 大江公尊・・・明治元年2月23日清雲寺で闘死。幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。
佐々木五良・・・明治元年2月23日清雲寺で闘死。幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。
従者2名墓 2名とも戒名で刻まれており、俗名不明。