石雲寺

   

本宮市本宮字坊屋敷1  地図

小田井蔵太碑 彰義隊。
天保元年(1830年)二本松に生まれる。
15歳で江戸番町の1000石の旗本川窪駿河守に仕え、神道無念流練兵館道場で斎藤弥九郎について剣を修めた。
その後、見込まれて3000石の旗本の家に養子となる。
安政2年(1855年)箱館奉行・堀 織部正に随って樺太に出張。以降、北方領土の諸問題に取り組み、蝦夷江差奉行に抜擢される。
文久3年(1863年)新徴組の編成に一役買い、ついで御使番となった。
戊辰戦争では西軍の江戸進攻に際して、伴 門五郎らと彰義隊を結成し、池田大隅守とともに頭となった。
上野戦争で敗れたあとは会津に逃れて戦ったが、庄内で降伏。
維新後は水戸県大参事となった。
明治25年(1892年)没。
享年63歳。