只見町大字塩沢字上ノ台258 地図
河井継之助墓 | 長岡藩。 120石。 家老。 藩財政、軍制を改革。 明治元年中立を主張したが、東山道軍監岩村精一郎に峻拒されて成らず。 止むなく抗戦、7月25日越後長岡城下で傷、8月16日会津大沼郡塩沢村で死。 42歳。 その場で荼毘にふされ、従僕の松蔵によって遺体は若松の建福寺に埋葬されたが、西軍が墓を暴いたところ、棺からは石や砂が出てきただけであった。 松蔵は西軍に発見されることを恐れ、墓標をダミーとして遺骨を山中の松の下に埋めておき、戦火が収まってから、密かに掘り出して長岡の栄涼寺に葬った。 |
河井継之助君終焉之地 | 医王寺より歩いてすぐの河井継之助記念館敷地内にある。 |