三春町字大町184 地図
園部修朔墓 | 三春藩。 明治元年8月30日戦死。 墓碑には9月30日とある。 |
井上弥太右衛門墓 | 土佐藩。 足軽(徒士とも)。 城下農人町住。 輜重隊。 明治元年7月28日岩代本宮で戦死。 21歳。 |
江口精馬墓 | 土佐藩。 小姓組。 城下南奉公人町住。 迅衝十番隊。 明治元年7月29日岩代二本松で傷、8月2日死。 21歳。 |
近藤楠馬墓 | 土佐藩。 歩行格(小姓格とも)。 迅衝一番隊。 土佐郡小高坂村住。 明治元年8月20磐城山入村で傷、21日死。 22歳。 |
日下専六墓 | 土佐藩。 夫卒。 明治元年8月若松で陣没。 |
新兵衛墓 | 大村藩。 中間。 明治元年8月23日若松で傷、帰営後死。 |
河野広中遺髪塚 | 三春藩。 郷士。 川前紫渓に儒学を学び尊王攘夷論を唱える。 戊辰戦争では三春藩は当初、奥羽越列藩同盟に加盟していたが、広中は西軍への帰順を画策し、東山道先鋒総督府参謀であった板垣退助と会見。 帰順後は土佐藩兵に合流し、二本松、会津を転戦した。 明治7年(1874年)に自由民権運動が起こると、その指導者の立場として運動に参加した。 明治14年(1881年)に福島県議会議員に当選し議長をつとめる。 明治23年(1890年)の第1回総選挙で衆議院議員に当選し、明治36年(1903年)には衆議院議長、大正4年(1915年)から大隈内閣の農商務大臣をつとめる。 大正12年(1923年)12月29日没。 享年74歳。 |