岡山市南区飽浦135 地図
永倉新八墓 | 新選組。 天保10年(1839年)4月11日に松前藩江戸定府取次役・長倉勘次の次男として江戸上屋敷に生まれる。 安政3年(1856年)剣術好きがこうじて脱藩し、永倉姓を称して剣術を学び、その後、近藤 勇の天然理心流「試衛館」の食客となる。 文久3年(1863年)近藤らとともに浪士組に参加し上洛。新選組結成後は、二番組組長や撃剣師範を務めた。 鳥羽伏見の戦いに参戦し、江戸に退却後、甲陽鎮撫隊として甲州勝沼で戦うが敗れ、江戸に戻った後、靖兵隊を結成し、北関東で抗戦するが、米沢藩滞留中に会津藩の降伏を知り、江戸へ帰還し、松前藩士として帰参が認められる。 明治4年(1871年)藩医・杉村介庵の娘・きねと結婚して婿養子として松前に渡る。 大正4年(1915年)1月5日に小樽にて死去。 享年77歳。 |
![]() |