金山町大字横田字居平588 地図
横田左馬之助墓 | 会津藩。 山内大学家来。 明治元年10月3日会津蔵入野尻で死。 29歳。 八十里の守備隊長(本名は横田村名主善蔵と言われる)。 10月2日に玉梨一ノ沢に隠れていた、横田大佐、小沼源蔵、中丸三郎右衛門を匿ったとして西軍に捕えられ、翌3日に野尻にて打ち首となり、獄門台に曝された。立て札には下記のように書かれたという。 横田村 善蔵 右の者賊徒に通じ官軍に抗し、あまつさえ最初の取り調べの節は心底改める旨申し立てながら、尚御沙汰の趣も守らず、潜伏の賊を深蔵いたし候段、天朝を恐れざる所行。よって死罪を行うものなり。 |