鶴岡市陽光町5-2 地図
中世古仲蔵墓 | 庄内藩。 庄内藩士・相良文右衛門の子として生まれたが、中世古甚四郎の養子となる。 慶応3年(1867年)12月25日の薩摩藩邸焼き討ちに砲事司令として出陣するが南裏門で戦死。 25歳。 |
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鳥海新之助墓 | 庄内藩。 水夫隊副長。 東田川郡藤島村住。 明治元年9月11日羽前関川で戦死。 33歳。 |
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平林貞一郎墓 | 庄内藩。 坂部九兵衛組。 鶴岡十三間町住。 明治元年9月11日羽後椿台で戦死。 21歳。 |
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山田官司墓 | 庄内藩。 白井為右衛門組。 明治元年9月12日羽前関川で傷、のち死。 45歳。 |
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清水五一墓 | 庄内藩。 酒造業清水弥五右衛門の五男として、天保7年(1837年)に武州埼玉郡羽生村で生まれる。 母が根岸友山の妹で、甥にあたる。 文久3年(1863年)に浪士組へ加盟し、根岸とともに上洛するが浪士組本体の江戸帰還が決定すると京都残留を希望し、3月15日に会津藩邸を訪問し、22日提出の板倉勝静への建白書にも連名している。 同月下旬、根岸とともに京都を脱して江戸に戻り、浪士組の後身である新徴組に入隊して隊務に励む。 明治元年3月、新徴組預かりの庄内藩の帰国にともなって、妻子とともに庄内に入り戊辰戦争を戦う。 明治5年(1872年)5月27日病没。 享年37歳。 |
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平林甚五兵衛墓 | 庄内藩。 清川口の戦いでは川端守備隊長として配下の足軽23名を率いて守備に当たった 明治13年(1880年)10月25日没。 |
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