束松
会津坂下町大字片門字重門治周辺
地図
束松事件現場
明治2年7月12日、民生局の扱いに不満を抱いた会津藩士・伴 百悦は、同志の高津仲三郎らと謀り民生局監察方兼断獄の福井藩士久保村文四郎が帰国する機会に越後街道の束松峠に待ち伏せてこれを斬殺した。
百悦はそのまま旧会津藩領飛地であった新津に逃れていたが、明治3年(1870年)6月22日新津郊外大安寺村の慶雲庵で村松藩兵に包囲され自害した。
享年42歳。
※現在は下の写真の新しい看板に変わっています。(平成30年7月現在)