せたな町北檜山区丹羽35-33 地図
会津白虎隊殉難の碑玉川遥拝所 | 旧会津藩士・丹羽五郎が白虎隊十九士の霊を郷里の会津若松にあるが如く、祖先を祀る意味もあってこの地に遥拝所を建立した。 |
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安達藤三郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 17歳。 畑 英太郎書。 |
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有賀織之助君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自決。 16歳。 大関栄作書。 |
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池上新太郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自決。 16歳。 宗川虎次書。 |
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石田和助君 | 会津藩。 6人扶持。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自決。 16歳。 十倉綱紀書。 |
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石山虎之助君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で戦死。 16歳。 柴 五郎書。 |
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伊東悌次郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 17歳。 加藤寛六郎書。 |
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伊藤俊彦君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 17歳。 早坂市太郎書。 |
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井深茂太郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 16歳。 丹羽七郎書。 |
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篠田儀三郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 17歳。 両角三郎書。 |
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鈴木源吉君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 17歳。 鈴木重正書。 |
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津川喜代美君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 16歳。 佐藤威悳書。 |
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津田捨蔵君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 17歳。 荘田三平書。 |
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永瀬雄次君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自決。 16歳。 丹羽五郎書。 |
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西川勝太郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自決。 17歳。 横山吉四郎書。 |
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野村駒四郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で戦死。 17歳。 藤沢正啓書。 |
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林 八十治君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 16歳。 西 忠義書。 |
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間瀬源七郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 17歳。 間瀬清吉書。 |
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簗瀬勝三郎君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で戦死。 17歳。 出羽重遠書。 |
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簗瀬武治君 | 会津藩。 白虎士中二番日向隊。 明治元年8月23日会津飯盛山で自刃。 16歳。 丹羽八郎書。 |
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丹羽五郎翁頌徳碑 | 会津藩。 嘉永5年(1852年)3月14日会津藩重臣丹羽家の分家に生まれる。 父の丹羽 族は戊辰戦争にて越後口八十里越方面の食糧総督として自刃した。 丹羽家は本家に男子がいなかったため養子として跡を継ぐ。 戊辰戦争では松平喜徳の側近くで仕えたが、一族40名以上を失い、従兄弟の有賀織之助、永瀬雄次は白虎隊士として自刃した。 戦後は邏卒として警視庁入りし、西南戦争に従軍し抜刀隊に選抜され田原坂の戦いで奮戦する。 戦後は神田和泉橋警察署長まで昇進するが、北海道開拓の志を抱き、明治24年(1891年)依願免官となり、瀬棚郡瀬棚村、利別原野の開拓願いを許され、猪苗代千里村の住人12戸と北海道に渡り開墾を始め、翌々年には猪苗代からさらに18戸が移住した。 明治35年(1902年)には宮城、会津から55戸が、明治40年(1907年)には会津から30戸が移住した。 大正2年(1913年)には、開拓農地1000余町、276戸1380余人入植の功績を認められ藍綬褒章を受章した。 昭和3年(1928年)9月6日没。 76歳。 |
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