寺内

   

秋田市寺内神屋敷9-1周辺  地図

仙台藩殉難碑 明治元年7月4日夜、秋田藩に同盟軍としての出兵を促すべく派遣されていた、仙台藩使者の志茂又左衛門以下11名は宿泊していた秋田栄町扇丁幸野旅館において、秋田藩士22名の襲撃を受け6名が斬殺され、五丁目橋のたもとに首を晒された。
残る5名と、6日に志茂を訪ねてきた弟の丁吉と下僕も捕えられ、16日に斬首された。
この事件により、秋田藩は南から庄内藩、北から盛岡藩に攻め込まれ、現在の秋田県の半分が戦場と化した。
この碑は明治22年(1889年)に旧仙台藩士により建立された。
揮毫は勝海舟。

仙台藩殉難者