戸ノ口原

   

古戦場:会津若松市河東町八田字大野原341周辺  地図
墓群:会津若松市河東町八田字大野原359周辺
六人墓、十六人墓:会津若松市河東町八田字東箕輪104周辺

戊辰戦役九十八士供養塔 戸ノ口原から滝沢峠で戦死した東西両軍98名の供養碑。
昭和33年(1958年)10月31日建立。
白虎隊奮戦の地 白虎隊士中二番隊は敢死隊の右に連なって西軍に対峙した。
砲声は夜陰に及び、戦闘はますますたけなわとなった。
東軍の有する武器は槍、火縄銃のみで、白虎隊のみがヤーゲル銃を有していたが、その威力は西軍の有する銃とは比べ物にならなかった。
これに反し西軍は益々増強され、しかも戦線は北は日橋川の左岸より、南は赤井村方面にまで及んでいた。
時間がたつ程に東軍は苦境に陥り、死傷者が相次ぎ抵抗しつつ退却のやむなきに至った。
安藤物集馬墓 会津藩。
300石。
遊撃寄合組小池隊組頭。
明治元年8月23日会津笹山で戦死。
44歳。
小沢新十郎墓 会津藩。
6石5斗2人扶持。
敢死隊差図役。
明治元年8月23日会津戸ノ口原で戦死。
44歳。
小池繁次郎墓 会津藩。
500石。
遊撃軍寄合組頭。
明治元年8月23日会津笹山で戦死。
46歳。
鈴木三郎墓 会津藩。
7石2人扶持。
朱雀寄合一番一柳隊。
明治元年8月23日若松城下で戦死。
29歳。
村松常盤墓 会津藩。
200石。
猪苗代隊。
明治元年8月23日会津戸ノ口原で戦死。
42歳。
戦死一人墓 会津藩士1人の墓。
被葬者不詳。
戦死四人墓 会津藩士4人の墓。
被葬者不詳。
戦死捨六人墓 会津藩士16人の墓。
被葬者不詳。
戦死廿人墓 会津藩士20人の墓。
被葬者不詳。
戦死六人之墓 会津藩士6人の墓。
被葬者不詳。
戦死十六人之墓 会津藩士16人の墓。
被葬者不詳。