下関市大字吉田1184 地図
長州藩2名墓 | 伊藤俊蔵・・・奇兵隊。児玉小民部家来。明治元年閏4月27日越後小出島で戦死。49歳。 小枝尚之輔・・・祥之助とも。奇兵隊。繁沢河内家来。明治元年5月13日越後朝日山で傷、6月13日高田病院で死。26歳。 |
杉山篤太郎墓 | 長州藩。 奇兵隊。 明治元年閏4月27日越後小出島で戦死。 28歳。 |
橋本九兵衛墓 | 長州藩。 久兵衛とも。 奇兵隊。 前大津三隅小島浦の農。 明治元年閏4月27日越後小出島で傷、29日死。 23歳。 |
山田梅吉墓 | 長州藩。 奇兵隊。 前大津黒川村の農。 明治元年5月11日越後榎峠で戦死。 24歳。 |
時山直八墓 | 長州藩。 松太郎とも。 無給通士。 変名萩野鹿助、玉江三平。 吉田松陰門。 江戸で藤森弘安、安井息軒に学び、文久2年(1862年)諸藩周旋掛。 下関攘夷戦、禁門、幕長戦に活躍。 明治元年奇兵隊参謀。 5月13日越後朝日山で戦死。 31歳。 贈正四位。 |
矢野伊兵衛墓 | 長州藩。 装条銃中間。 奇兵隊。 明治元年5月18日越後鬼倉山で戦死。 34歳。 |
藤田育太郎墓 | 長州藩。 奇兵隊。 益田主殿家来。 変名篤輔、桜山隼人。 明治元年7月25日越後長岡で戦死。 24歳。 |
清輔墓 | 長州藩。 清助とも。 奇兵隊馬丁。 安芸の人。 下関日傭頭子方。 明治元年7月26日越後関原村で戦死。 |
藤井市郎墓 | 長州藩。 一郎とも。 大島郡小松開作の農。 萩・東光寺の弟子。 明治元年8月2日越後月岡で傷、4日越後柏崎病院で死。 19歳。 |
田中初太郎墓 | 長州藩。 奇兵隊。 前大津俵山村の農。 明治元年5月28日越後与板で傷、8月8日死。 |
岡村正次郎墓 | 長州藩。 干城隊。 明治元年7月29日越後新潟で傷、8月21日死。 18歳。 |
渡辺八郎墓 | 長州藩。 奇兵隊。 装条銃中間。 地方組。 明治元年9月2日越後陣ヶ峰で戦死。 27歳。 |
平田四郎墓 | 長州藩。 干城隊。 第一砲隊組。 明治元年9月5日岩代河沼郡片門村で戦死。 30歳。 |
吉田要輔墓 | 長州藩。 干城隊半隊司令。 明治元年7月29日越後六日市で傷、9月14日越後高田病院で死。 24歳。 |
勝原国介墓 | 長府藩。 報国隊半隊長。 明治元年5月26日越後金ヶ崎で戦死。 20歳。 |
深津新吉墓 | 長府藩。 報国隊。 五番小隊。 明治元年5月28日越後陣ヶ峰で戦死。 19歳。 |
長網瀧吉墓 | 長府藩。 長綱とも。 報国隊。 磐石隊。 明治元年6月19日越後十二潟で戦死。 34歳。 |
坂本伊三郎墓 | 長府藩。 報国隊。 明治元年5月28日越後陣ヶ峰で傷、6月20日死。 21歳。 |
福田侠平墓 | 長州藩。 奇兵隊。 文政12年(1829年)長州藩士(無給通)十川権右衛門の次男として生まれ、大津郡伊上に住む福田貞八の養子となる。 文久3年(1863年)8月に奇兵隊に入隊。 元治元年(1864年)8月の四国連合艦隊下関襲撃の際は書記、同年末には参謀に進んだ。 高杉晋作の功山寺挙兵に際してはこれを暴挙として高杉の馬前を遮って止めようとしたが、最終的には高杉に同調し、奇兵隊士を集めてこれに参戦した。 慶応元年(1865年)士雇に昇格し、山県狂介とともに軍監となり、小倉戦争や北越戦争に出征し、数々の功を立てた。 北越から凱旋した2日後の明治元年11月14日、大酒を飲んだすえに下関で急死した。 享年40歳。 戦場では味方の敗色が濃くなっても、酒を飲みながら陶然と指揮したので、自らを「悠々老人」と号したほどであった。 |
福田侠平碑 | |