上田市二の丸6263イ 地図
赤松小三郎墓 | 上田藩。 天保2年(1831年)4月4日に上田藩士芦田勘兵衛の二男として生まれ、赤松家の養子となる。 嘉永元年(1848年)江戸に遊学し、内田弥太郎、勝 海舟、下曽根信敦に師事。 安政2年(1855年)長崎海軍伝習所に赴き、オランダ人より語学、航海、測量等を、横浜でイギリス騎兵士官より騎兵術、英語を学ぶ。 慶応2年(1866年)より京都に私塾を開き、英国式兵学を教え、ついで薩摩藩から兵学教授として招聘され薩摩藩の兵制を蘭式から英式へ改変するのに指導的役割を果たした。 また会津藩士・山本覚馬の依頼により会津藩洋学校の顧問を務めた。 薩摩藩より国許に招聘されたものの、薩摩藩の武力倒幕を知って拒否し、幕薩一和を求めて薩摩藩の西郷隆盛や幕臣の永井尚志らと交渉をする。 慶応3年(1867年)9月3日に上田へ帰国の途上で薩摩藩の中村半次郎と田代五郎左衛門に暗殺される。 享年36歳。 贈従五位。 この墓石は京都の金戒光明寺にあったが、傷みが激しいため保存のため引き取り、金戒光明寺に新しい墓石を寄進した。 上田城跡の赤松小三郎記念館内にある。 |
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赤松小三郎君之碑 | |
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戊辰役上田藩従軍紀念碑 | 戊辰戦争に従軍した旧藩士達により明治36年(1903年)に建立された。 |
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