小千谷市大字浦柄660 地図
戊辰戦蹟記念碑 | 昭和16年(1941年)建立。 碑には当時、海軍大将だった山本五十六連合艦隊司令長官の書が刻まれている。 |
![]() |
|
戊辰戦死神霊 | 戊辰戦争戦死者の慰霊碑。 |
![]() |
|
新国英之助墓 | 会津藩。 萱野隊甲士。 明治元年5月13日越後朝日山で戦死。 17歳。 父・源之丞と共に見張りを任されていて、源之丞は敵兵を見つけると、傍らで寝入っていた英之助を起こす間もなく山頂に走り、残された英之助は無念の最期を遂げた。 源之丞の迅速な報告もあり、西軍の奇襲は失敗する。 尾根に残された遺体は、後に浦柄の村民によってその場に埋葬された。 戦後20数年が経ち、明治政府から旧幕府軍兵士への弾圧が解かれると、源之丞は浦柄を再訪し、息子が戦死した場所を探し出し墓を建てた。 33回忌まで弔いに訪れ、その後は管理を村人に託し消息が途絶えたという。 |
![]() |
|
時山直八墓 | 長州藩。 松太郎とも。 無給通士。 変名萩野鹿助、玉江三平。 吉田松陰門。 江戸で藤森弘安、安井息軒に学び、文久2年(1862年)諸藩周旋掛。 下関攘夷戦、禁門、幕長戦に活躍。 明治元年奇兵隊参謀。 5月13日越後朝日山で戦死。 31歳。 贈正四位。 東軍兵士の墓碑に混ざって、西軍として唯一墓碑が建てられている。 |
![]() |
東軍兵士墓 | ||||
朝日山で戦死した東軍兵士の墓。 上記、会津藩士・新国英之助と、長州藩士・時山直八以外は姓名不詳のため戒名のみが刻まれている。 これらの墓碑は昭和28年(1953年)に福生寺住職や浦柄村の人々によって建立された。 |
||||
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |
![]() |