愛宕神社

   

会津若松市慶山2丁目43  地図

窪田伴次・重太供養碑 窪田伴次・・・会津藩。11石2人扶持、独礼。元治元年(1864年)7月19日の禁門の変において、会津藩は三面より攻撃を受けて忽ち苦戦に陥り、蛤御門を放棄して内裏の唐門の守備に移ったが、長州兵はさらに強攻してきた。このとき間髪を入れず飛び出した伴次は「窪田伴次一番槍」と叫び大身の槍を振って敵の真っ只中に飛び込み、忽ち2、3人を倒したが、敵弾に当たって壮烈な戦死をとげた。39歳。

窪田重太・・・会津藩。伴次長男。白虎士中一番隊。戦後は猪苗代に謹慎、さらに東京に護送された。許されて斗南に移住、その後東京に出て警視庁巡査となる。明治10年(1877年)西南の役勃発するや三等巡査で出征、別働第三旅団第四大隊一中隊二小隊所属として5月18日熊本県中尾山の戦いで銃弾に倒れた。