会津若松市慶山2丁目7-23 地図
戊辰戦争殉難殉節供養 | 戊辰戦争で戦死した会津藩士と唐津藩士の合同供養碑。 |
佐藤次郎八墓 | 会津藩。 堀隊。 明治元年1月5日淀で戦死。 38歳。 |
林 又三郎墓 | 会津藩。 権助の子。 藩の兵制改革に功。 慶応3年末補助長官・軍事方。 明治元年1月5日淀で戦死。 40歳。 |
林 権助墓 | 会津藩。 500石。 大砲奉行兼軍事奉行。 明治元年1月3日伏見豊後橋で傷、10日紀州沖船中で死。 63歳 |
会津藩3名墓 | 国府辰次郎・・・源十郎弟。集義隊小隊頭。明治元年閏4月25日磐城白河で戦死。37歳。 国府篤三郎・・・源十郎弟。朱雀士中三番原田隊。明治元年8月29日若松下町西堀端で戦死。20歳。 国府源十郎・・・400石。白虎士中小隊頭。明治元年9月6日若松城二ノ丸で戦死。42歳。 |
諏訪米之進碑 | 会津藩。 23石3人扶持。 青龍士中三番木本隊。 明治元年6月1日越後見附(赤坂山とも)で戦死。 48歳。 |
丹羽 族墓 | 会津藩。 100石。 代官。 兵粮方総督。 越後から逃れ延びてきた人々であふれた只見地方の村は食糧危機に陥った。 族はその食糧の調達に当っていたが、万策が尽き遺書をしたため明治元年8月7日大沼郡野尻村で自刃。 54歳。 これを聞いた地元農民は驚き、食糧の供出に応じ、避難民らは無事若松へ避難できたという。 |
赤埴平八墓 | 会津藩。 260石。 遊撃隊三宅隊小隊頭兼力士隊頭。 明治元年8月14日越後赤谷で戦死。 34歳。 |
会津藩2名墓 | 赤埴酉四郎・・・平八の弟。10石3人扶持。大砲士中一番隊小原隊嚮導。明治元年8月23日若松城埋門(天寧寺町とも)で戦死。21歳。 赤埴定蔵・・・平八叔父。遊撃隊相沢隊。明治元年9月1日若松郊外西方(舟渡山とも)で戦死。54歳。 |
永井氏七人之墓 | 永井左京・・・400石。青龍士中三番木本隊小隊頭。明治元年8月23日若松本二之丁の自宅で自刃。35歳。 永井スミ・・・左京の妻。明治元年8月23日若松本二之丁の自宅で自害。30歳。 永井ツル・・・左京の母。明治元年8月23日若松本二之丁の自宅で自害。62歳。 永井英記・・・左京の次男。明治元年8月23日若松本二之丁の自宅で自刃。11歳。 永井フヂ・・・左京の娘。明治元年8月23日若松本二之丁の自宅で自害。14歳。 永井ヤエ・・・左京の姉。明治元年8月23日若松本二之丁の自宅で自害。38歳。 永井 某・・・左京の三男。明治元年8月23日若松本二之丁の自宅で死。8歳。 |
沼沢家墓 | 沼沢貞子・・・小八郎の祖母。西郷氏。明治元年8月23日嫁道子の介錯で自刃。86歳(82歳とも)。 沼沢すが子小八郎の妹。明治元年8月23日母、姉らと自宅で自害。23歳。 沼沢道子・・・九郎兵衛の妻。明治元年8月23日若松自邸で姑貞子を介錯、娘2人とともに自刃。52歳。 沼沢ゆや子・・・小八郎の姉。明治元年8月23日母、妹らと自宅で自害。27歳。 |
沼沢家家臣墓 | 内川源吾・・・源吉とも。沼沢出雲家来。明治元年8月23日若松甲賀町の主家前で戦死。30歳。 鈴木勝之丞・・・沼沢出雲家来。明治元年8月23日若松の主家邸前で戦死。52歳。 |
畑 五郎左衛門墓 | 会津藩。 明治元年8月23日戦死。 幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。 |
吉田義助墓 | 会津藩。 預方。 明治元年8月23日若松大和町で戦死。 |
会津藩2名墓 | 神戸岩蔵・・・民治弟。間者として長州に潜入。慶応元年(1865年)5月に発覚し長州藩に捕えられて道玄堂山において打ち首となった。21歳。 神戸民治・・・180石。青龍士中三番木本隊半隊頭。明治元年9月17日会津一ノ堰で戦死。31歳。 |
籾山省介墓 | 会津藩。 50石。 非戦論者。 明治元年9月20日抗戦派により暗殺される。 幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。 |
唐津藩6名墓 | 市川熊雄・・・明治元年8月21日会津勝軍山で戦死。 高須大次郎・・・明治元年8月21日会津勝軍山で戦死。 田部鉄三郎・・・明治元年8月21日会津勝軍山で戦死。 水野忠右衛門・・・明治元年8月21日会津勝軍山で戦死。 吉川七之助・・・明治元年8月21日会津勝軍山で戦死。 吉倉兎三郎・・・明治元年8月21日会津勝軍山で戦死。 |
小田磯之助墓 | 会津藩。 太子流剣術師範として日新館において教導。 戊辰戦争では出陣し奮戦したがその甲斐なく開城の憂目を見た。 落城後は城下に他国者が跋扈し、よって町中は混乱した。 磯之助は同志らと保義会を組織し町民の補導につとめ、私立日新館が建設されると選ばれて教授に任命された。 明治37年(1904年)5月28日没。 享年85歳。 |
沼沢七郎墓 | 会津藩。 沼沢九郎兵衛の次男。 幼名は小八郎。 兄が禁門の変で戦死したため七郎が家督相続。 戊辰戦争のとき七郎15歳。 母道子が一族を集めて一隊を編成、七郎を隊長として越後口を守る。 六十里越、大内村で奮戦し遊撃隊長となる。 明治になり上京して大学南校に学ぶ。 のちに岩手、福島、香川、秋田県などの役人を務める。 大正4年(1915年)12月22日没。 享年63歳。 |