会津若松市東山町大字石山字天寧196 地図
神尾武右衛門墓 | 会津藩。 7石2人扶持。 青龍足軽一番杉田隊嚮導。 明治元年5月1日磐城白河で戦死。 48歳。 |
会津藩2名墓 | 津村久米之助・・・源之丞伜。8石2人扶持。目付席。進撃小室隊。明治元年8月23日若松天神口で戦死。34歳。 津村源之丞・・・明治元年9月2日会津藤田で戦死。72歳。 |
佐原盛純墓 | 若松馬場町生まれ。 旧姓金上。 18歳で江戸に出て、添川完平、杉原心斎らに学ぶ。 文久3年(1863年)外国奉行池田筑後守の師となってフランスに渡り、パリの往復記録『航海日録』を書く。 維新前後は他藩に仕えたが、明治5年(1872年)足柄裁判所勤務。 明治8年(1875年)若松へ帰り、塾を開いて漢学を教えた。 後に私学日新館教授。 明治17年(1884年)『白虎隊』の漢詩と剣舞を初めて墓前に奉納。 明治41年(1908年)12月4日宇都宮の親族の家にて没。 享年74歳。 |
荒川勝茂墓 | 会津藩。 130石で北原家家臣団20人中の筆頭。 明治2年11月に本人の書いた身上書によれば、戊辰戦争時は進撃隊席御供番。 敗戦後、塩川に謹慎し、明治2年2月には越後高田藩に幽閉される。 斗南藩に移り藩再興に尽くす。 その間の『明治日誌』全4巻は貴重な資料。 廃藩後、会津に戻り、教育者としての功績が大きい。 明治42年(1909年)2月5日没。 享年75歳。 |