矢不来台場跡

   

北斗市矢不来37-4周辺  地図

矢不来台場跡 箱館戦争で最も激戦が繰り広げられた台場跡。
箱館の押付台場と向かい合い箱館湾を守るため前幕領時代の寛政11年(1799年)〜文政4年(1821年)に造営され盛岡藩が守備していた。
安政元年(1854年)蝦夷地は再び幕府の直轄地となり、、箱館奉行の竹内保徳などにより、この台場の増強が必要なことを幕府に上申している。
箱館戦争では、この台場を東軍が修理し、新たに第2台場を造営して大鳥圭介率いる約500名で守っていたが、4月の西軍による激しい砲撃・艦砲射撃にあい七重浜に撤退している。
この戦いで東軍は衝鋒隊長・天野新太郎ほか死傷者約70名を出した。