山野辺家墓所

   

日立市高鈴町1丁目22-30周辺  地図

山野辺義芸墓 水戸藩。
家老。
助川海防城主。
天保3年(1832年)山野辺義観の次男として生まれる。
嘉永2年(1849年)兄・義正の死により家督を相続し、3代目の助川海防城主となる。
安政元年(1854年)家老職に就いた。
元治元年(1864年)天狗党の乱が起こると、尊王攘夷派とみなされ執政を解かれる。幕府により天狗党追討令が出されると、仲介を試みるが天狗党側とみなされ9月6日に幕府軍・二本松藩らに包囲され、9日に落城した。
12月に家名断絶、知行地と館を没収され、中山邸に禁錮された。
明治元年、明治政府から官位を復され、同年10月の弘道館戦争にも参戦している。
明治19年(1886年)12月6日没。
享年55歳。