横峯堂

   

館山市亀ヶ原833-1  地図

山田官司供養碑 庄内藩。
白井為右衛門組。
明治元年9月12日羽前関川で傷、のち死。
45歳。


文政8年(1825年)百姓の次男として亀ヶ原村に生まれる。
江戸に出て、北辰一刀流の千葉周作の門に入り免許皆伝。
文久3年(1863年)幕府が江戸市中の警備組織として浪士組を編成すると、一番組の隊長として参加。
その中から新徴組が再編されると取締付・剣術教授方などをつとめる。
慶応元年(1865年)には肝煎取締役となり100石を与えられる。
戊辰戦争では新徴組を率いて関川の戦いで胸に銃弾を受け、従者に背負われて退却。
明治2年5月にその傷がもとで死。