常安寺

   

米沢市城南5丁目1-23  地図

甘粕継成墓 米沢藩。
侍組。
戊辰戦争では軍務参謀に任じられ、北越戦争では米沢藩参謀と奥羽列藩同盟軍参謀を任された。
長岡城奪還作戦のために兵員増員を藩に要請して戦ったが戦ったが敗れた。
米沢藩の降伏後は謹慎を命じられた。
明治2年3月に新保勘左衛門の変名で上京し、麻布の上杉邸に潜伏。この時、まだ500両の懸賞金がかかっていたが、雲井龍雄の尽力により新政府への出仕が決まったが、まもなく死去。
享年38歳。
雲井龍雄墓 米沢藩。
本名小島隆三郎、変名遠山 翠、一木 翠。
17石。
安井息軒門。
明治元年薩長軍の東征を阻むため列藩同盟を推進。
明治2年上京して新政府の貢士となったが、間もなく免職。
のち東京で旧幕系の救済活動をしたが、これが陰謀とみなされ、明治3年(1870年)12月28日小塚原で斬、梟。
27歳。
斎藤篤信墓 米沢藩。
侍組。
300石。
戊辰戦争では越後口に出陣し、長岡城の戦いで大隊長、参謀仮総督として奮戦。
米沢藩の降伏の使者として新発田の西軍本部に赴く。
明治2年明治政府の待詔院下院に出仕し、藩学校総係。
明治6年(1873年)教部省九等出仕、奥羽諸県巡視となる。
明治12年(1879年)山形師範学校初代校長。
明治18年(1885年)文部省御用係、学習院教授補を歴任。
明治24年(1891年)10月12日没。
享年67歳。
『戊辰実記』などの著書がある。