由利本荘市給人町44 地図
山田祐五郎墓 | 本荘藩。 半隊司令。 明治元年7月16日羽後三崎で傷、27日病院で死。 19歳。 |
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金沢権太夫墓 | 本荘藩。 重役。 隊長。 明治元年8月8日本荘城下で戦死。 50歳。 |
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服部平右衛門墓 | 本荘藩。 文政4年(1821年)生まれ。 幼名を斧太郎、和七郎。 のち母方の服部性をついで平右衛門と改め、50石を給されている。 江戸在番中諸国を漫遊、帰藩後は寺社奉行、郡奉行、表御用人などの要職を歴任。 戊辰戦争に際して、新政府が強引に進める会津・庄内藩征討に反対して結ばれた「奥羽越列藩同盟」を俗論として排撃し、仙台藩、盛岡藩など東北の雄藩に拒絶されて転々所在が定まらず、箱館にわたろうと能代港に待機中の「奥羽鎮撫総督府」を本荘城に迎え入れようと計画、ひそかに腹心の守屋杢右衛門を能代に派遣する。 やがて秋田藩・亀田藩・本荘藩とも西軍側につき庄内藩との戦争になり、圧倒的に優勢な庄内勢の前に、本荘藩は城を捨て、亀田藩は庄内藩に降伏、秋田城も危うくなるものの、庄内勢は総引揚げののち降伏。 明治3年(1870年)急死。 戊辰の功により大正4年(1915年)大正天皇即位の礼の際に従四位を贈られた。 |
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六郷政鑑墓 | 本荘藩第11代藩主。 嘉永元年(1848年)10月3日生まれ。 戊辰戦争では、服部平右衛門、守屋杢右衛門らの説を入れて庄内征伐の先鋒となる。 城下と領土をすべて庄内藩に占領され、みずからも本荘城に火を放って久保田へ避難した。 明治2年、版籍奉還に伴い知藩事に就任。 明治4年(1871年)廃藩置県により知藩事を解任され、同年8月22日に東京へ移る。 明治17年(1884年)子爵となる。 明治40年(1907年)7月23日没。 享年60歳。 |
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