鶴岡市新海町23-21 地図
渡部金治墓 | 鶴岡藩。 卒。 石原藤助組。 鶴岡天神町住。 明治元年7月28日羽前赤倉越で戦死。 42歳。 |
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黒崎与助墓 | 庄内藩。 450石。 用人席。 集合隊頭。 小隊長。 鶴岡大海町住。 明治元年9月10日羽後椿台で戦死。 36歳。 |
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松森胤保墓 | 庄内藩。 文政8年(1825年)庄内藩士長坂市右衛門の長男として生まれる。 文久2年(1862年)、38歳で家督を相続、翌年出羽松山藩付家老に任ぜられる。 元治元年(1864年)江戸詰めとなり、市中警備に当たる。 慶応3年12月の薩摩藩邸焼き討ち事件では松山藩兵の指揮を執った。 慶応4年4月、軍務総裁に任じられ、松山藩一番隊長兼庄内藩一番大隊参謀として出陣し新庄、横手、角館等を転戦し、いずれも勝利を収めた。 軍功により、藩主から「松守」姓を賜るが固辞、「松森」とする。 明治14年(1881年)山形県会議員、明治17年(1884年)酒田町戸長となるが、病のため職を辞す。 晩年は研究著述に専念、奥羽人類学会会長として尽力した。 明治25年(1892年)4月3日没。 享年69歳。 |
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黒崎研堂墓 | 庄内藩。 嘉永5年(1852年)庄内藩家老酒井了明の三男として生まれる。 慶応4年黒崎与助の養嗣子となる。 戊辰戦争では17歳で農兵小隊長として出陣。 明治5年(1872年)松ヶ岡開墾に経営に参加し、その様子を『庄内日記』として書き残している。 明治19年(1886年)、日本書道会の第一人者であった日下部鳴鶴に入門、それ以来研鑽を重ねて庄内における書道興隆の基礎を作った。 また、金融機関済急社(現・荘内銀行)の社長を務めた。 明治34年(1901年)鶴岡町会議員となる。 昭和3年(1928年)1月16日没。 享年76歳。 |
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