山入古戦場

   

大玉村玉井字亀山周辺  地図

戦死三十一人墓 明治元年8月20日、本宮から進出し山入村に入った西軍と、二本松を奪還すべく母成峠より進出した東軍との間で戦闘が行われ、夕刻会津藩が敗退、伝習隊が奮戦するも西軍に包囲され、大損害を出し母成峠へ撤退した。
後に残った東軍の31名は利あらずとして枕を並べて自刃した。
この戦いで会津藩3名、二本松藩1名、伝習隊39名の戦死者を出した。
西軍は4名の戦死者を出した。
戦死した43名は判明しているが、そのうち埋葬されている31名は不明。
二本松藩2名墓 久保豊三郎・・・少年隊。大壇口の戦いで負傷、明治元年11月1日玉井野戦病院で死。12歳。
久保鉄次郎・・・少年隊。大壇口の戦いで負傷、明治元年12月6日玉井野戦病院で死。15歳。

共に幕末維新全殉難者名鑑に記載なし。
西軍4名墓 吉村熊之助・・・長州藩。装条銃足軽。第一大隊。明治元年8月20日岩代玉井村宿陣で敵襲を受け戦死。21歳。
近藤楠馬・・・土佐藩。歩行格(小姓格とも)。迅衝一番隊。土佐郡小高坂村住。明治元年8月20日岩代山入村で傷、21日死。22歳。
伊座敷金之進・・・薩摩藩。小銃第九隊。明治元年8月20日岩代二本松領玉ノ井で戦死。19歳。
次郎・・・薩摩藩。夫卒。小荷駄方。明治元年8月20日岩代二本松領玉ノ井で戦死。31歳。